南京事件 ポアロさん引用の日記について 本当はこうだった南京事件 第四章 城内の…
南京事件 ポアロさん引用の日記について 本当はこうだった南京事件 第四章 城内の混乱と残虐行為 城内掃討での虐殺 下 下関虐殺 169 ポアロさんは、ここから日記を引用しています。 著者の主張はこうです。 この話は、初期の発表による虐殺談なので、批判者は多い。 詳しく書く必要もないが、 何千人もの集団が通過するには最低1、2時間かかる。 支局の傍らをそんな長時間人が通るのに、最後の集団になって やっと気がつくというのは、かなり鈍い。 さらに行列は把江門が障害となって、必ず停滞するから軽装で追いかけた今井氏らが、下関までの四キロ半の間に追いつかないはずがないる 二万人をこんな短時間で殺し、死体処理が終わるはずがない。 そもそも二万人の根拠が怪しい、 同行したはずの中村カメラマンに記憶がないらしい事。 など、信用度は低いが、下関で多数の射殺があった箏は、実見したか、誰かから聞いたものであろう。 著者の主張は以上です。 さてでは、次にポアロさんの主張にツッコミを入れていきましょう。 ポアロさん曰く 日本軍は最初連行しましたが収容所が一杯になると、後は殺してしまいました。 ハーイ、ポアロさんのいつものデマカセでーす。 ソースを聞くとブラックリスト指定されまーす。 ポアロさん曰く 何の思慮過程を経ることなく処分が行われた事に虐殺の要素が顕在化するのです。 ポアロさんが引用した日記自身が、ポアロさんのデタラメを物語っています。 第一 日記を読めば、通行人をあやしいものとして、捕らえたことは確実です。 第二 日記を読めば、何時間もかけて取り調べをしている事実が分かります。 第三 日記を読めば、大隊長が全員処刑せよ、と、聞いて驚いたことが分かります。 第四 日記を読めば、12月16日、つまり、残敵掃討の最終日である事が分かります。 以上4っつの事実から言える事は明白です。 残敵掃討は13日から行われているのです。 ですから、みんな外出を控えていました。 16日になっても、まだ、外出しているものは、中国兵である可能性が高い。 ですので、 この大隊長が、全員を中国兵と判断したことは、妥当だと思います。 さて、 南京戦の知識として、 上海戦で、大規模な損害をこうむった中国軍は、 南京で大規模な徴兵を行いました。 その数は、約3万人です。 本当はこうだった182ページに中国側の資料が載っています。 さて、 南京戦は、上海戦から1ヶ月経っていません。 ですので、 三万人の新兵には、南京で家族とともに暮らしていたし、 帰るべき家が、南京にあった訳です。 白旗を掲げて降伏すべきだったのですが、 新兵は、民間人のふりをする事を選択しました。 愚かですね。 南京は、東京都の文京区、台東区、墨田区の面積を合計した広さがあります。 こんなに広いところを徒歩で、さらに、日本軍に見つからないように、 家までたどりつく。 このことがいかに困難なことかの説明は、いらないでしょう。 ですので、家族が引き取りにきても、耳を貸さなかった、というのは、 当然の判断です。 ポアロさんの引用した日記には、次のように書かれています。 付近の部隊から見物や手伝いが多く、十名ばかりくれないかと申し込んでくると、卵でもうるように十名でも十五名でもわけてやった。 はい、この部分を読めば、日本軍が手当たり次第に連行したなどという事が、完全なデタラメだという事が分かります。 南京には20万人も人がいるのですから、わけて貰う必要などない。 ポアロさん、曰く。 変な感想だね。 そもそも日記というものは、前提として「誰がいつどこで」は備わっているでしょ。 自分が見聞きしたことが日付の元に書き残されているのが日記ですよ。 と言われても ポアロさんの引用した日記自身にこう書かれています。 自分達の小隊だけでも200名ばかり、 他の中隊では500名、600名として、その総数は1万ともいわれた。 ここでの、200名は、処刑すべき敗残兵を処刑した数としてカウントできましょう。 この200名を捕虜の虐殺とするのは、とんでもないデタラメです。 処刑して当然の人間を処刑したに過ぎない。 この日記をもって、処刑すべき敗残兵の数を200名と数える事は賛成ですが、 処刑すべき敗残兵の数を1万人とするのは、 それは違うんじゃないですかー(^0^) という話しですよね。 日記の読み方の話しです。 こうした卑劣なやり口が、左翼の常套手段ではないでしょうか?(続きを読む)
映画『君の名は。』 日記データの消失について 作中で主人公 瀧は携帯で日記をつけ…
映画『君の名は。』 日記データの消失について 作中で主人公 瀧は携帯で日記をつけており、入れ替わりの際、三葉とのやり取りのツールとして使われていましたが、映画を見て疑問が残りまし た。 瀧はアプリで日記をつけており、三葉もそれを発見し、夢の中の男の子がマメだ感じ、同じように日記をつけたのがやり取りの始まりだったと記憶しています。 ストーリーが進んだあと、糸守で瀧が真実に気付き、記憶が薄れていくの共に携帯にあった日記さえ消えてしまうシーンで、アプリの日記データが全て消えていましたが、元々つけて瀧自身の日記は何故消えてしまったのでしょうか? 本来は時間軸がズレている三葉が日記を残していることや都合よくデータ消えることは映画的表現として理解出来るのですが、全ての日記データが消えた意味が分かりません。 私が考えられるのは下記3点です。 1.三葉は瀧と違う日記アプリを使用していた 2.瀧の日記が消えたことも何かの伏線になっている 3.私の単純な見落とし(瀧の日記が残っている描写があった) お手数お掛けしますが、疑問の解決にご協力頂ければ幸いです。 よろしくお願いします。(続きを読む)
8月28日(火)ムネオ日記
8月28日(火)ムネオ日記 BLOGOSFull coverage(続きを読む)
家族で約10年間、交換日記をしていた話 (1/2)
家族で約10年間、交換日記をしていた話 (1/2) ねとらぼ家族で約10年間、交換日記をしていた話 ニコニコニュースFull coverage(続きを読む)